2021年01月10日

依存について (心理的第三の思考若杉論)

依存について(・o・)ですが
 今回は結論はありません
 まとめはあります

 主に概念的知識の
サイコエデュケーション・共通認識になります
 参照文献は、精神医学特論or心理学あれこれになっています。

思考するための(=゜▽゜)ヒントになれば
 幸いです。

  

● 病気or病状とは当人がその事で不利益に成っていると気付く場合と、その事で当人が社会的な不利益が生じる場合。
               (この事はE・クレペリンの言葉の引用ですが若杉理解になってます。)

● 依存は強迫的な欲求に対する「コントロール」喪失を特徴としており、強迫性障害群の関連は大きな問題である。

● 強迫の語には、
  ① ある概念や衝動が自分の意に反して執拗(しつよう)に意識にのぼり、
  ② 自分でも ばかばかしいと思いながらも、そうした観念・衝動やそれらを、
     中和するための行為を止めることが できず、
  ③ これらをあえて抑えようとすると、
     かえって強い不安が起きるという、
     一連の現象を指して用いられる。

 「~が!気になって仕方ない。」や「~しないと!気がすまない。」
 といった日本語の言い回しは、こうした事情をよく表わしいる。 

● 強迫行為はこのような強迫観念を打ち消して
   無害化するために行われる、ことが、多い。
 
● 依存には二つあり
   心理的依存「その物質を摂取したいという強い「欲求」があり、これを「コントロール」できないことを指す。また
             心理的依存には、「否認」を伴うことも特徴であり、
     否認とは自分が引き起こしてる問題の大きさや、その事実そのものを認めようとしない、ものである。
   身体的依存身体が、それ無しではバランスを保てなく成っている状態。
   
 以上が(=゜▽゜)身体的な立場からの
見て解る、自分で気付く。精神医学特論からの抜粋で、
ベースとなる考え型です。

重要なポイントは「否認」と「欲求」それと「コントロール」です。

  

 次に(=゜▽゜)心理的な立場からの
思いに、思考を向けた心理学的な
 サイコエデュケーション・共通認識のお話しです。

● 欲求欲求は、生理的欲求・安全欲求・社会的欲求・尊厳欲求・自己実現欲求となっている。また
       欲求の境は社会的と尊厳との間にあり、
       生理的欲求・安全欲求・社会的欲求は、外的に充たされたい、欲求。
       尊厳欲求・自己実現欲求は、内的に充たされた、欲求。
        (マズローの欲求5段階説より)

● 錯覚錯覚は、客観的に見れば「誤った認識」には違いない。
       しかしそこには適応的な意味が見られる場合がある。
       このような認知的な調整が働くおかげで、
       知覚は、そのものを意味ある対象として解釈するように働くのである。
        (錯覚の科学より)

● ゼロリスクモデル安全余裕度の概念で、一定の安全余裕度を維持している、という状況を示している。
              安全余裕度は行動主体がハザード(危険源)から離れている、空間的・時間的距離と定義される。
               (交通心理学より)

● リスクホメオスタシス理論・個人ごとのリスクに対する許容値。
                    ・状況がリスクの許容値を超えるとリスク回避の行動へ。
                    ・許容値を下げるリスクテイキングをとる。
                      (交通心理学より)

● リスクテイキング個人はリスクの許容値を一定にしようとする。
              注意行動の適応はリスクを高める方向にある。
                 (交通心理学より)

● レヴィンの公式行動は人と環境との関数である。
              行為者自身に属する要因(内的要因)だけでなく、
              その行為を行った際に、
              行為者を、どのような環境が取り巻いていたかの(外的要因)も考慮に入れなければ、
              十分な理解はできない。

              行為者を取り巻く環境として重要なのは、
              物理的環境よりも社会的環境である。
              社会的動物である人間にとって、
              他者の存在は行動のみならず、
              思考や感情にも影響を与える。
               (心理学概論より)

 この他にも(=゜▽゜)愛着の理論(人格心理学)の:愛着の内的ワーキングモデルや
  認知心理学の記憶でのあれこれが必要になるのですが
  話しがややっこしく、解り難くなるので
  割愛いたしました。

  

 これら共通認識からの
まとめの(=゜▽゜)第三の思考若杉論 

 依存とは恐怖から逃れる為に取る為に、
その人にとって安全・安心を与えてくれる、者や物とその行動。で
頼りにする。を過ぎる、度起こすと、依存です。

 その境は「否定」が境で
「このままじゃ駄目だ」の自己否定が出来る間は
まだ、頼りにする。段階です
 自分の不利益に自分が気付く
 まるで(=゜▽゜)うつの症状に似た状態みたいな

 これが進むと
完璧な「否定」が起きます。

「私は悪くない」の「否定を否定する。」完璧な「否定」です
 この状態で、社会的不利益が生じているのですが
 当人は「否定」が働いているので

『納得』はできません。
「私は悪くない」のですから
 まるで(=゜▽゜)統合失調症のような、症状のようです。

自分ではどうにもなりません、症状です

「私は悪くない」を支える
 心理的要因はお話し致した通りです。また

「私は悪くない」状態になると
 恐くて始めた依存の原因、その

逃げたかったもの、
安全を確保していたもの、を
思い出す事が出来なくなっています。

忘れた訳ではありません
 その証拠に(=゜▽゜)症状が改善して行くと
記憶が戻り再燃することも、多多あります。

このままじゃいかん。と
 自己認識・出来たら

即、相談です
 この時、必要なものと者は(=゜▽゜)リアルな
 現実に、前に立つてる存在です。

そのひとに、依存するのではなく
そのひとに、任せるのです

 自分を変えられるのは自分だけです。
 もとに戻るのではなく有ることを受け入れ、それと、ともに逝くのです。

 以上
よんでいただきありがとう御座いました。

  

 余談(=゜▽゜)ですが
多くの心理状況や状態を支えているのが

思い込み

で(=゜▽゜)思い込みの神髄が
「私は悪くない」です。

注意「私が正しい」ではなく
 「私は悪くない」だから
平然と出来るのです。

 「私が正しい」なら
我を張るので、周囲から反対されます、止められます。

 また進むと
自分の事しかわからなくなり、
 まだまだ進むと
自分で自分のことが解らなくなるのです

 まるで(=゜▽゜)痴呆の様になります、そこで
周りが注意していなければです。

気に掛けてあげる。(b^ー°)たいせつです




 








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