2024年05月26日
フリーレンに感化され第三の思考の魔道書を書いてみた (第三の思考輪若杉論)
イメージしたものを
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第一章
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第二章
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第三章
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第四章
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第五章
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イメージしたものを伝えるために
形にしたり
変化させたりすることを
魔法と呼ぶのなら
その魔法は現在では
科学や化学と そう呼ばれている
現在の科学(化学)は
一昔前までの魔法の様なことをしているのだから
その魔法で
地球は狭くなっている。







魔法が誰にでも使えると いいよね、
科学における絶対条件は
誰が試しても使っても可能であること
誰もが使えるが絶対条件になっている。
誰でもが絶対条件なのだが
科学も魔法も使う為には
発動条件をクリアーしなければならない
知ること学ぶことはもちろん
知識と探究それに興味 技術や経験
扱う使うもの、やコントロール
努力と根性・忍耐などを
継続的にこなさなければならない
それと
才能とセンス(感性)もである
科学も魔法も誰もが使えるが絶対条件そして
魔法も科学もイメージを形にする・変化させる為の手段にすぎない。






この世の中は三つのものから出来ている
それは
形のある物、形のないもの、そして直ぐに消えるもの、
形のないものは
感情、感覚、おもいや気持ち考え
違和感、優しさ、雰囲気、気分に
繋がり、関係、恐怖に好き嫌い
それにイメージと自分でもわからいモヤモヤなどの
感じたこと
その人の中だけに有るものだけど
形はない感じることしか出来ないもので
その感じたことを称して人は心 形のないものをそう呼んでいる
直ぐに消えるもの
行動、言葉に社会や時代、その時あの時
画面に映し出されたものなど
見る事、感じる感じさてくれるものだけど
同じ物を誰もが
触れる事、手に取る事が出来ないもので

記憶にしか残らない記憶にも残らないものが
直ぐに消えるもの
形のある物は
形のないもと直ぐに消えるもの以外の
ほんのわずかな
誰もが出来て作れて触れる事の出来る
形の有る物
そしてそれら三つは人それぞれの記憶に残る
その記憶はその人にしか使えないし感じない






イメージは頭の中で湧いてくるもの、
イメージは感じるものだけど
使うものがないと感じない
感じないとイメージが湧かない
感じるために使うものは
形のある物では身体を使う
身体を使わなければ
何も感じない
頭の中では記憶を使って感じている
記憶していたことが身体が感じた刺激で
別の記憶と相まって感じて感じたことを記憶する
記憶はないものだけど
脳細胞の中に有る物だけど
自分にしか使えないし感じない
身体を使うことでの刺激を感じ頭の中で記憶を使ってるときに
イメージが頭の中で湧いてくる。






魔法と科学の盲点、
イメージを形のある物や直ぐに消えるものに
変える為に使うものが
魔法や科学なのだが
魔法や科学にも盲点が ある
魔法の場合は
天地がひっくり返ることがあるで
科学の場合は
ゼロも無ければ100もないである
それは科学も魔法も
1対1の対応でしか対応仕切れていないのに
心も身体も複数の多くのもので構成されている為である
魔法も科学も絶対はないものである。






魔法も科学も使えないけど、
イメージを形にしたり直ぐに消えるものにすることは
誰にでも出来る
絵を描く、話しをする、文章にしたり
行動で態度で示して人に伝える
イメージを人に伝える1つの手段が
科学と魔法
イメージを形にするのが出来るのが
科学と魔法
科学と魔法を使うには
それなりのことを身に付けないと
使えないし そう感じてもらえない
イメージしたものを伝えるために
形にしたり
変化させたりすることを
魔法や科学と 呼んでいる
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薬の作用とその弱点 (第三の思考若杉論)
AIが具体化するのは心理学的なところまで。 (第三の思考若杉の経験論)
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追いつく事はできなが追い越していることはある。 (第三の思考若杉の経験論)
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Posted by わかわ at 17:17│Comments(0)
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