人は総てを持って生まれて来る (心理的第三の思考若杉論)

わかわ

2020年09月27日 10:16

 本日の(^_^)/結論です

人は総てを持って生まれて来る
 ただ
その全てを使える訳ではない。

 以上が結論です

 ~~~~ 

 本日の(=゜▽゜)お話しは
「刺激反応」のお話しで、文字にすると
「刺激と反応」の『と』のお話しで

『と』とはなにを、どう、『使った』たかになります。

 ここで(=゜▽゜)若杉論ですが
心理学・精神医学や「学」と付くもの、科学とされる全て全部は
「刺激反応」で、言葉にすると
「これがあるから、こうなった。」です。が
 若杉わここを
「これが、あるから、こうなった。」と三つに分けて思考します
 この思考仕方が『と』の思考です

ひとの反応(結果)は、
 刺激(情報)そく反応の、1対1の関係だけではない、はずです
 1対1の関係が現れる時は病気の時です。
  逆転の思考:心理学の「学」とは (心理的第三の思考若杉論)でご説明したとおりで
 病気がよくなると、『使う』ものが複数になるので反応が異なって来ます
 病気に冒される時の過程も人によって異なります、が
 最終過程では「同じ」になり1対1の関係になります。

 原因を突き止めるのは困難ですが 
 要因は解ります。

 「同じ」・「環境」にいても人によって反応が「違う」のは
 「環境」をその状況を、なにを、どう、『使って』いるのかで
 反応や「判断」に「違い」が出るためで、
 この「違い」が要因です

その要因を思考するのが『と』の思考で
 『使う』もの差しは『使う』です
 (もの差しはたいがい『』で「」はその尺度になってます)

 ~~~~ 

人間はDNA的には「同じ」ような者となってます
脳も全く「同じ」とされてます。

それならなぜ「違う」のか?ですが
『使う』もの と 『使い』型が「違う」からです
 例えると肌の色、『使う』ものはメラニン色素・『使い』型が「違う」と肌の色がかわる為です。
 DNAはその刺激で開くものと、開かなくなるものが!あります
 
 どの刺激で、どうなる、のかの「分岐点」は無数で
 例えると『葉脈』の様に成っていて、調べる事は難儀します

 『と』の思考の「これが、あるから、こうなった。」ですが
 薬の反応で説明できます

 胃が痛いので胃薬を飲んで収まったが、科学的な反応と刺激、
 この時の『と』の思考は、
 その薬は、痛い胃に効果があるもの、
 痛みの神経に効くもの、はたまた
 痛みそのものを麻痺させる為に脳を刺激するものなど

 なにを、どう、『使おう』が個人の自由で
 その「選択肢」は『葉脈』の様に成っています。

 ~~~~ 
 
 まとめ(^_^)/ます

人は総てを持って生まれて来る
 ただ
その全てを使える訳ではないのです

 DNAレベルで
開くもの・開かないもの・閉じるもの・とあり
「違い」を産みます、この違いが要因です。

 成長過程では
「刺激(情報)」によって『使う』が発生し
使える・使わない・使えないの
「差」が招じます、また

 その「差」は、付いてるものは「同じ」でも
「容姿」と『使う』『使い』型で「差」がつきます、
成長過程の「差」を招じされるものが要因です。

 要因は
「容姿」がこれが
『使う』があるから
『使い』型がこうなった
 と思考すると
『と』の思考「これが、あるから、こうなった。」になり要因がわかります

「容姿」は「姿」と「機能」で「差」をうみ
『使う』は使うもので、
『使い』型は、どう・使うかで「違い」がでます

その選択はまるで『葉脈』の様に
無数の分岐点があり、その事が
「差」や「違い」に成るのです

閉じたもの・開いてないもの・に関しては
 刺激して『使える』ようにする と
 『使えない』ないものなので、補うの二つの『使い』型があります。

『使い』型が、もったいない『使い』型になっていると
 人から指摘されたり、注意されたりで
 気付きがあれば変えることが出来ますよ


 一番(=゜▽゜)重要なことは
自分を知ること
 その為に「これが、あるから、こうなった。」の
 自己監視能力と自己観察能力で鍛えて『使える』ようにする
 謙虚な姿(容姿)が必要ですよね

 以上
よんでいただきありがとう御座いました。

 ~~~~ 

 余談(=゜▽゜)ですが
謙虚でいても、その事をするしない
 どう、『使う』かは
個人しだいと思うよです

そんなことは(≧∇≦)できねえで
 補います

若杉の髪の毛わどうにもなんねえ
 本数p(´⌒`q)減って来てますよ~
 どうにも出来ねえ


 











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