人間が使えるのは記憶と身体だけ(=゜▽゜)です (第三の思考若杉論:結論偏)

わかわ

2021年04月11日 12:53

 はい(^▽^)/本日は
まとめも結論もない
まとまりのないお話しです

 日頃思い付いたことを
メモに遺すまんま書き込みます

結論であり、タイトルになります。

 では(=゜▽゜)はじめます

 ~~~~

人が使えるものは
 記憶と身体だけである。
   
その事は
 DMSやICDが
 原因ではなく、症状に注目して
 操作的な判断基準にしたことで
 わかる。
   
その事で
 今を知ることができるが
 「変化する。」には後手に回る。

 ~~~~

記憶を扱うと
 精神分析になる
 自由連想法がそうである。
   
そして記憶には
 意識と無意識の二つに分ける
 分け方がある。
   
意識と無意識を心理学では
 言語化・出来る、言語化・出来ない、の
 二つに分ける
 境は、言葉である
   
よって、行動表現は
 無意識になる。
   
記憶を扱い『使う』ときの問題点は
 意志気が抜け落ちてる事
 脳の機能を『使って』ない事の
 二つある。

 ~~~~

脳と身体を、思考と身体とすると
 身体主義と心理主義のことばがピッタリである
     
その事を『使う』で分けると
 頭を使う。と 身体を使う。に別れ
   
頭を使うは頭全部で
脳みそを使うは脳の全部で
脳を使うは脳みその各部位の部分になる。

 ~~~~

1つの事を話すには、
 十もの事が必要になる。
   
色は1色で出来てない
 混じり合って一つの色になる。
   
頭も同じで
 脳の各部位が刺激し合って
 脳みそで、思い考え思考する。
   
頭の中では
 多くの事を思考するが
 態度や行動など
 身体を使って表現出来ることは
 1つである。

 ~~~~

脳みそは脳の各部位から出来ている。
 頭は身体の一部である。
   
その事は薬の反応で解る。
   
薬は身体のその部位に届くのではなく
 その部位の細胞に届くのである。
   
そして血液の流れによって届くのである。
   
血流によってその部位が活動・行動して
細胞間が電気的刺激によって活動・連携し合う。


 ~~~~

身体で感じたもの、身体に入って来たもの、が刺激である
   
刺激は総て身体以外のものなので
 異物である。
   
異物なので、
 その反応には、
 個人差の有るもの・個人差の無いものがある。
     
その事は
 脳みそなら理解とわかるの、理解の仕方と理解力で個人差が出る。
 身体なら反応とその速度・容姿・可動域などなど多くの差が有ることを人は知っている。

 ~~~~

『使って』いないと『使え』なくるのが
 身体である、頭も同じである。
   
『使わなく』なると
 血液が廻らなくなる。
   
すると其処は
 『使えなく』成るか、無くなる。
   
脳みそがそうである
 他の部分が使えなくなり
 1つの事しか
 考えられない。思えない。に成ると
   
病名が付く
 今の症状がそのものだから。

 ~~~~

 とりあえずまとめ(=゜▽゜)ますです
頭は身体の一部です

 身体と心で出来てます
心はもやもやしてて、有るのか無いのかわかりません。
 わからないものが無意識です、
 解るものが意識です。

 脳みそは色々と思考します
身体は1つのことしか出来ません。

 感じた事、入って来たものが刺激です
刺激がないと身体は『使え』ません
『使った事』で反応が起きますが
反応は1つですが、多くのものを『使って』います。

 『使った』ものは細胞で
 『使った』箇所がその部位です。

使わないと、
 使えなくり、なくなります。

 以上
よんでいただきありがとう御座いました。

 ~~~~

 余談(=゜▽゜)ですが
今回のアップは細切れになって
 ごめんなさいです

 つい(≧∇≦)ゞうっかり
やっちゃいました
 意識したけど無意識の反応で
ごめんなさいです

普通は何度かに分けて
 確認しながらアップするのですが
 やらかしたから確認してません
誤字脱字・言い違いがあったら
 ごめんなさいです

あやまってばっかでごめんなさいです
 なお意識と無意識の境を決める決め方は
無数にありますですよ

 









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