傷つかない人はいないだからレジリエンスを使える (心理的第三の思考若杉論)
本日はサクサクいきます
はい(^_^)/結論です
傷つく、痛みを感じる。
この事が
痛みを感じた当人にとって(b^ー°)良いことなのです
はなまるなのです
例えると(=゜▽゜)よく聞く
「人は傷付いた分ひとに・・・」のお話しで
そのとき『使う』のがレジリエンスで
本日は「痛み」とレジリエンスのお話しです。
始めに(=゜▽゜)サイコデュケーション・共通認識です
◎~◎~◎~◎
レジリエンスとは困難や脅威に直面している状況に対しての、「適応力」のことで
【うまく適応[できる]能力】・【うまく適応[していく]能力】・【適応[した]結果】を意味する言葉。
ですが(≧∇≦)今回はこの意味合いと他に心理学での意味合い
レジリエンスとは自己回復能力 と 自己再生能力
この意味合いを強く持ち『使って』います。
◎~◎~◎~◎
痛みとは「よくなる」と「限界」を知らせてくれる、ものなのです
その事は(=゜▽゜)心理療法の動作法でお話し致しますと
動作法での動作とはもともと動いていたのだから『使って』いれば動く様になる、
『使って』いなかったので『使おう』とすると
「痛み」を伴う。 (若杉の見解ですがね)
例えると屈伸運動
前「した」の「適応力」を『使う』のです。
だから(=゜▽゜)ね
傷つく、痛みを感じる。
この事が
痛みを感じた当人にとって良いことなのです
はなまるなのです(≧∇≦)です。
以上
よんでいただきありがとう御座います。
~~~~
余談(=゜▽゜)ですが
「人は傷付いた分ひとに・・・」の・・・点々は
総ての人がそうではないから
点々・・・になっています
ひとは、『経験』した「痛み」には
共感できる『わかる』の能力を持っていて『使う』ことが出来ます。 ここ重要です
ですが
誰にでも共感できるわけではありません。また
その共感力『わかってあげられる』が『使える』分けではありません。
この2つのありません。を
クリアーしないと「人は傷付いた分ひとに優しく」出来ないのです。
若杉わ(゜∨゜)好みのひとにわ
無条件で共感力が発動してしまいます
それで嫌がれることしばしばあります
あい・てに届けるのわp(´⌒`q)難しよ~です
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