健康が恐ろしいのは社会的で評価されるから (前振り) (第三の思考若杉論ショート)
はい(^_^)/結論です
健康かどうかの判断は
自分の意思ではなく
他者の社会的評価で評価されるところが
恐ろしいところなのです。
以上
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WHOの健康の定義
身体的に精神的に社会的に良好であるが健康。は
はいおっしゃる通りで御座いますです
ただ身体的・精神的・社会的って言われてもですよね
なので(=゜▽゜)若杉的には
身体的を医学的
精神的を自分で自分を感じること、として
社会的は社会と呼ばれる自分を取り巻くもの、とします
すると
ボトムアップとトップダウンで健康を思考出来ます
ボトムアップは、身体的精神的社会的
トップダウンは、社会的精神的身体的で
自分を感じる、は常に真ん中にいるのです、
ボトムアップでは、
身体的に社会生活が可能で
身体的に可能で有れば自分を感じ使って社会に適応可能。となります。
トップダウンでは、そこに
社会的に良好かの何も具体的でなく、文化や環境、時代の流れで変化する
曖昧な評価が加わります、 また
何を持って良好としているかは、他者の客観的判断で判断されてしまいます。
ボトムアップに関しては
ベースが医学なので科学的がベースで
精神的には、心理学なので科学的説明も付き
社会とはなどは、新人教育・会社概要・マニュアル・規則や法律で
大方の察しは付きますが
その評価は総て
社会的にどうなのよの総てトップダウン方式で他者まかせ、で
他者が感じたことを感じたままに
上から頭ごなし言ってきます、
言い方を替えると(・o・)たった一人を皆で寄ってたかって虐めます炎上しますです
何にもしない人、何も知らない人、何の関係もない人が
社会的にどうなのよで評価をする事&出来る事が 恐ろしいところなのです。
それでも その社会で生きて逝かなければなりません。
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まとめ(^_^)/ます
人間は一人では生きて逝けないので
社会と関係を結びます
繋がりを持つ場合は
身体的精神的社会的に問題はないか?のボトムアップで
その評価には
社会的精神的身体的の他者からの一方的な感じたことで
評価されてしまいます、
その事が健康か健全なのかの
恐ろしい個人評価となるのです。
以上次回に続きます
よんでいただきありがとう御座いました。
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余談(=゜▽゜)ですが
今回のお話しは次回の「医学的理由が必要な現在型うつ」の
前振りとなってますので
トップダウンの評価だけはよろしくお願いします。です
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