曖昧な喪失の対処には希望と情を棄てること、そして (第三の思考若杉の経験則より)
はい(^_^)/結論です
曖昧な喪失に対しての対処法は
当事者自身がその事に対しての
希望と情を棄てること
そして
未練を断ち切ることが出来れば
折り合いを付けることが出来れば
曖昧な喪失から抜け出せます。
以上
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はい今回のお話しは(=゜▽゜)健康の定義の
肉体的・精神駅・社会的の3つの内
精神的の心と気持ち(≧∇≦)のみに絞らせていただきます
心とは
私達が感じたこと感じていることの総てを指します
特定出来ない場合に人は「こころが痛い。」と囁きます
気持ちとは
こころの中で少し纏まり、思いや考え思考を通って
向けられる形なったものが気持ちです
人は「気持ちが向く。」とか「気が散る。」って言って自分や
自分以外に向けてます伝わります
そこで今回の(=゜▽゜)曖昧な喪失ですが
こころの中のどの場所かが特定出来ますその場所は
希望と情です
ですから(=゜▽゜)曖昧な喪失は
思いでは「なんで私だけ」で気が自分に向きます
気持ちがそこから離れられないので「取り残された」思いや「離れたくない」思いになつてしまいます
希望とは
人が最後の最後まで持ち続けることで
光りとなり
その人を最後まで支え続けてくれるものが希望です
情とは
疑って疑って疑ってそれでもまだ尚且つ疑って
最後の最後に残った一雫が情です
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はい(^_^)/まとめます
曖昧な喪失とは
希望と情の副産物として起きているが
曖昧な喪失で
頭では解っていても思いが残り気持ちが向かない
が!曖昧な喪失なのです
通常な状態であれば
情があるから
愛情が芽生え優しくも
自分以上の存在にもなるのです
希望があるから
その光りの方へと進み導かれるのですが
善が有れば悪も有る
表があれば裏がある作用すれば副作用があるのと同じで
希望と情の副産物が曖昧な喪失なのです
ひょっとしたらの希望と
拭っても拭っても拭い切れない最後まで残り続けるひと雫が情です
頭では解っていても
思いや気持ちは裏腹で
希望と情が心の中でよく練られて一つになって未練に変ります
ですから曖昧な喪失への対処方法は
未練を断ち切るか
折り合いを付けるかです
未練を断ち切るのも
折り合いを付けるのも
出来るのは当事者自身だけなのですが
思いや気持ちに対してなら
親身になることで
( ・∇・)手助けお手伝いの支えになれるかもです
親身になるとは
先にその苦労を経験し超えて来たから
折り合いを付け今も引き摺って引き連れているから
笑って( ・∇・)話してくれるひとのことです
そんなひとの話しを聞くことで
私一人じゃなかったんだと 思わせて くれる ひとです
以上
よんでいただきありがとう御座いました
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余談(=゜▽゜)ですが
曖昧な喪失は消滅しません
何かの事で
心の琴線に触れると記憶の想起がおき
その感情が蘇りますが大丈夫です
対処の仕方・折り合いの付け方は学習済みなので
同じ様に同じ方法で同じ事をして
曖昧な喪失を静めます
若杉の場合わ一晩寝て
寝たら忘れる(≧∇≦)です
ただしこの方法を体得するまで数年かかりました(≧∇≦)です
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