はい(^_^)/結論です
ときには自分じゃない自分を出して見る
もう一人の自分を出して見る
非日常で出せる勇気を日常で(≧∇≦)ですよ
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心理的に言うと(=゜▽゜)内なる自分の声に従う
みたいなです
具体的に、お話しいたしますと
(=゜▽゜)ギャルになるみたいな事 とか
コスプレする みたいな非日常みたいな事ね
ギャルって
大きなことは気にしない
小さなことは気にしない、ですよね
これって、
ギャル化することで、
もう一人の自分に入るスイッチを入れて
もう一人の自分を演じて見せるを しています
コスプレイヤーが
コスプレすると行動的が積極的になる
その役柄を演じてみるです
この事は(=゜▽゜)顔をメークで替える事で
服装を変える事で、
姿・形が見た目が変ることで
他の人には私とは気付かれないかも
なので
やってみたかった自分が出せるのです。
やつてみたかった自分を自分で演じるのです。 ここの所重要です
この(=゜▽゜)演じるを日常ていに置換えると
忌野清志郎さんの「パパの歌」
昼間のパパは ちょっとちがう
昼間のパパは光ってる
(=゜▽゜)でもどちのパパも、うちのパパなんだよね
それと演じているともしバレたら、私って勘づかれたら、
と葛藤するドラマが「セクシー田中さん」で
最終話のタイトルが「背筋を伸ばして歩く・・・小さく確かな一歩。」 このタイトル重要です
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まとめ(^_^)/ます
時には憧れの自分を演じてみる
もう一人の自分のスイッチを入れてみるポチッとな
そして日常の自分の幅を広げて魅せる。
その為には
非日常で出せる勇気を日常でほんの少し出してみる
です
例えると(=゜▽゜)好きなひとに勇気を出して
「好きです。」って告って、返事も聞かずに立ち去ってしまって
日常に帰ったときなんて私、おバカな事してしまったんだろう
もう会えない、行けない、などと自分で自分を責めます
でも(b^ー°)大丈夫です
非日常の自分は成りたい自分で日常の自分の憧れです。
日常の自分は社会的理性を持った「りょうかい範囲内の」賢い自分です。
非日常の自分も日常の自分も、どちらも本当の自分です。 ここまでが重要です
日常の自分からすれば
非日常の憧れる自分のすることは、ちょっとの勇気のある
日常の賢い自分からすれば
無謀なおバカな自分に映ります。がその時は
次の日その相手に、こう伝えるのです
「昨日は突然で、ごめんなさい、
ちょっと別のスイッチが入って、あんなこと言ったけど
あのときの自分も別の本当の自分だから ね」
です
重要なことですが
否定も肯定もしてはいけません
どちらの自分も本当の自分なので
受け入れることをしてください
非日常の自分の勇気を少し使って
非日常の自分に日常の自分が少し背中を押してもらただけのことです。よ
そして、そのことを
わかってくれる、支えてくれる相手になってもらえるように
伝えることが大切な事です。
最後に申し訳ないのですが
注意です
「我を亡くす。」この事に注意して下さい。
「我を亡くす。」とは
社会的・理性的に逸脱しているのに
自分で自分の事が判らないおかしい、変だって疑問が湧かない
他者からすれば変のですが、本人はその事に疑問がない。
この状態にならないように注意して下さい。
勘違いしやすいのが葛藤で
葛藤は「りょうかい範囲内」です大丈夫です
学校や会社、家族といるとき、それぞれのシチュエーションで
其処それぞれに自分を演じ分けているだけで
その総てが
社会的理性的に「りょうかい範囲内」の日常で
自分で自分を演じ分けているだけでの
自分で自分に疑問を感じるので大丈夫です
非日常も自分でしてる社会的・理性的りょうかい範囲内なので
非日常に少し背中を押してもらうが大切で
非日常も日常もわかってくれる支えてくれる相手が要ることが大切です。
以上
よんでいただきありがと御座いました
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余談(=゜▽゜)ですが
ねこになりますわ若杉が、まるくて柔らかいものに
甘えかぶる、という憧れの非日常を指します
そのひとにしか、その姿は見せません
その事が許されるひと限定です
いつか猫になってやる(σ ・∇・)σみゃんみゃん