自分の中の私が参上 其の参 (第三の思考若杉論メモ)
心理学で言うところの
意識と無意識の区分を大まかに
私と自分という二つの存在に分けるという
第三の思考です
を変化させたものです
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私達の記憶・知覚・意思などは
通常「私という意識のもとに」一つにまとまり統合されています。
だから自分が「なにをしたか!」・「なにをしているのか」知っているのです。
(=゜▽゜)この事が基本となります。
自分が「なにをしているか?」・「なにをしたのか?」を
私は知っているのです。
私と自分の二人います
私は自分を感じます
自分で私を感じます
心を通してお互いがお互いを感じます
注意して下さい
お互いがお互いを感じてるのであって、
その事を感じている3人目がいる様に錯覚します、
それは、私と自分の中間に視点を置いたために
鏡合わせの万華鏡になっているだけの錯覚です。
実体の無い幻影の錯覚です。
私が感じることは
自分という者のへの社会的リサーチ(観察)。
自分という者が、私が思い描いた者との比較。
自分という者に、私が求める現実的に使えるもの。
が(=゜▽゜)あるんじゃないかなって思います
それが
内省・超自我・メタ認知に
(=゜▽゜)当るんじゃないかなって思います。
葛藤だったり、心因だったり、自己否定だったり
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でね(=゜▽゜)この思考を
ややっこしく解り難くしてるいるのが
時間軸の思考
その例が(=゜▽゜)自分が「なにをしているか?」・「なにをしたのか?」を
私は知っているのですです
「なにをしているか?」は今
「なにをしたのか?」は 過去
だから
私は未来を推測出来る
今起きていることを過去の記憶と照合して私が未来を推測する
[今起きていることを過去の記憶と照合して]この部分が自分
[私が未来を推測する]この部分が私の部分
でね(=゜▽゜)今への対応は時間を掛けられないので
AI脳の自分の出番
過去の記憶と照合して即座に行動
行動出来るのは自分だけです、が
自分は出来る事しか行動しません。 ここ重要です
私が未来を推測して
自分らしさを、自分らしいかたちで、自分らしく表現するためにを
私が思考するには時間がいります、動きが止まります。
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まとめ(^_^)/ます
時間だけに囚われると
私を亡くします。
私という思考には時間が掛かります
時間の掛かることを良しとしない
時間の掛かることは悪いことだと
インストールしたAI脳の自分に自分が感じたその瞬間
我に返り、私の存在の存在に『気』が付きます
すると
自分らしさ、自分らしい、自分らしく、の疑問で
私が自分のことで悩み・疑問が生じます
心因の症状が招じます
そんな時は
時間だけに囚われた社会から切り離して
我に返る、私を取り戻す時、
時間が必要になるもの事実ですが
それでも時は流れ社会は動くので
浦島太郎になるリスクはあります。
この時(*^▽^)/私参上で
できない駄目な私を社会に適応させるを
私が思考するのです
死ぬまでの時間ならたっぷりあります。
死ぬ間際までが勝負です
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余談(=゜▽゜)ですが
浦島太郎になっても最後は勝てます
それが大器晩成で『使う』のが健康な老化です。
リタイヤはいたしません
死ぬまで闘い続けます
何度倒れても最後に立っていた者に私わなるです
以上
よんでいただきありがとう御座いました
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