自分で自分が嫌になる、其の荷 きれい事と常識が・・・(第三の思考若杉論メモ(=゜▽゜)です
自分で自分が嫌になる
のは(=゜▽゜)AI脳の自分でいるのに自分が嫌になるんだよ。
はい以上です。
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このことを知るために
『使う』のが(=゜▽゜)フロイトの自我と葛藤(コンプレックス)ね
自我という自分が(=゜▽゜)AI脳の自分ね
その自我は、気質に近い性格みたいな自分という者で、
後天的に獲得されたもので
多くは躾や教育、教えの中で他者の口から語られた
「〇〇してはならない。」や「××しなければならない。」を
なんら疑いも疑問もなく。 ここ重要です
自らインストールし取り込み内面化して
「**するべき。」とした自分ルールに ここ重要です
AI脳の自分がこのルール
きれい事や常識、などに縛られ
壁に囲まれた世界に居ることが嫌になると
自分で自分が嫌になり自分の中で葛藤が招じます。
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でね第三の思考では(=゜▽゜)AI脳の自分と無意識と自我わ
ほぼ横並びで『使い』ます。
でも同じものじゃ~ありませんからね
似て非なるものみたいだけど( ̄∇ ̄*)ゞ似ているものみたいな
微妙~な扱いです
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はい(^▽^)/まとめます
自分で自分が嫌になるのは、
自分のAI脳にインストールしてある
きれい事や常識が荷となって重く圧し掛かって来るからです。
自分と自分の葛藤戦いなので
自分の中だけで起きている事なので
自分は自分から逃れらません。
そこで(=゜▽゜)必要となるのが私という存在で
私という者だけが自分をプログラミング出来る存在なのです。
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余談(=゜▽゜)ですが
私という確定的存在がある人は
環境への適応と、
その環境を私の形に変化させることの出来る
私なりの折り合いのつけ方、やり型という
私という者を持っているひとのことです。
其のさんのさんは私参上の参になってます。
以上
よんでいただきありがとう御座いました。
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