なぜ人は答えを求めたがるのか?にお応えいたします。(第三の思考若杉論ショート)
はい(^_^)/結論です
(=゜▽゜)それは
答えを出せと訓練されたから、
学習して来たから、学び教わって来たから。
以上が応えです。
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ここで(=゜▽゜)共通認識です
人間は三つあると迷い、二つで悩み一つを選ぶ。
幼い頃から今日まで人は、
問題を与えられ、
答えを出せと
あたかも答えが有る様に求められて来たから。
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人間が選べるのは1つだけです。
その為に幼い頃ころから
正し間違い・善と悪・良い事悪い事・好き嫌い・などなど
延いては生きるか死ぬかなどの
二つからの選択に
答えを求められて生きて来たから
答えが有ると思い込んできました。
ほら(=゜▽゜)究極の二社選択ってなんだか好きだよね
これは、
選ぶ自分が第三者の立場だからの
二社選択に応えれば良いからなんだよ、
第三者という三つ目の選択だからね
もし当事者なら二つから1つを選ばないと逝けないけど
第三者だから、三つめの其れまでに無い選択肢だからね
三つめの、その一つを選べるから気が楽で、なんだか好きなんだよね
だから、その究極の二社選択に応えられるんだよ、
当事者じゃないからね
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はい(^_^)/まとめます
答えを出そうとすると1つになりますが
応えようとすると、その応えは無数にあります。
言い方を(=゜▽゜)替えると
無数にある、応えは
総てが、そうかもしれないし、そうでないかもしれない、だけのことです。 ここ重要です
その事を人は「答えなどない。」って言ったりもするけどね
要は答えではなく、
応えるを(*^▽^)/身に付けて下さいねっうことですよ
以上
よんでいただきありがとう御座いました。
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余談(=゜▽゜)ですが
テスト以外に人生で生きて逝く上で
答えを求められ、それに応じないと逝けない答えがあります。
それが当事者に成って
あやまる・謝罪するなどをする時。
自分の非を自分で認め、
過ちを認め、あやまると言う答えを出さないと逝けません。
ただ
等価の罰はこの世にはありません、ので
褒められる位に気持ちよく誤って下さいね
相手が気持ちよく成るほど誤って下さいね
「なるほど解りもした、もう頭を上げい。」
「お代官さま、かたじけのう御座いますありがとう御座います。」ですよ
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