よしやろう、やってみようがAIにはできない。〔第三の思考若杉論メモ(=゜▽゜)要点だけ〕

わかわ

2023年05月14日 14:52

 はい(^_^)/結論です

よしやろう
やってみよう

この二つで一つのことは
AIとAI脳の自分しかない人には出来ません

 以上

  

 人間には心があります
こころは、気持ちと思いから出来ています。

イメージしやすく(=゜▽゜)すると
 ハート型を中央から破いた片方がこころの形で
 丸い方が思い、ギザギザの尖った方が気持ちです

丸い方の思いは
 あなたの中だけにあるもので
 その思いが段々イメージとして出来て来ると
気持ちとなって形となって
 他のものへと向けられます
 気持ちはひとに伝わります

形のない思いが形に出来る気持ちになって向けられます
そして気持ちは感じます

感じるけど形のないものが
 ことば と 行動

  

 まとめ(^_^)/ます

AIはできることしかしません。
AIに出来る事は、優先順位を考える事だけです
そしてその上位を人に提示します。
AI脳の自分という人はその提示に従います。

AIの提示にその人は従います。
だから、できることしかしません。

AIに従ったその人は何かあると
自分がしたことを別のものの性にします
したのは自分なのにね

それは
AIとAI脳の自分という人には責任を果たす事が出来ないからです
何故なら罰を被る事が出来ないからです。

できる事は、
言われた事プログラミングされた事を守ることだけです
それがAIとAI脳の自分という人のできる事です、

AI脳の自分と人はAIと他者から
言われた通りプログラミングされた通りに動きます、

ですから
自分がした事でもプログラミングされた通りに
プログラミングを守ってやったのだから
プログラミングした物と者の責任にします、

私という存在が亡いから
「はい私がやりました。」が言えません。

よしやろうやってみようは
出来ないかもしれないが私はしたい、という思いを
総てを引き受けるという
覚悟の気持ちとなっての言葉と行動になったものですから

よしやろうやってみよう、と
行動に移すことが出来
駄目だったら はい私がやりましごめんなさい
と自分の口で言えるのです。

責任を果たせる罰を被れる私という存在
AI脳の自分にプログラミング出来る私という存在があるから出来ることです

自分がした事は総て自分に返って来ます
私が自分にプログラミングする時のスイッチが

よしやろうやってみよう(≧∇≦)です

 以上
よんでいただきありがとう御座いました

  

 余談(=゜▽゜)ですが
そうプログラミングしたのも私という存在です。

 









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